ちゃいろのいぬ英語奮闘記。

英語の勉強記録。

わたしと英語【正社員時代&ブランク期】

留学期間中、自分が本当に情けない生活を送って最悪の精神状態のまま帰って来たことがつらいというか情けなさすぎて、自分のような人間が英語を仕事で使うことなど出来るわけない。と決めつけていました。全く前向きに考えられない程落ち込みつつ行なった就活では、留学中本当につらかったことを誰にも言えず、ただ、次のステップへどんな形でもいいから進まなきゃ。その一心で淡々と面接を20社ほど受け、奇跡的に受かったのが某建設会社の一般事務でした。

 

新卒で入社したその会社では、わたしはたいへん問題のあるOLでした。まず、その会社で普通とされていた男尊女卑的な男性の振る舞いに対して非常に強い嫌悪感を抱いており、上司や営業さんに対し少しでもおかしいと思ったら平気で楯突いたり反論したりが日常茶飯事でした。

 

嫌なら辞めればよかったものを、大学まで出してもらい留学もさせてくれた親への罪悪感から2年ほど我慢した末、自分の限界を超えてしまったようで、ある時ついに心が壊れてしまいました。(発症したのは当時の職場環境だけが原因ではありませんが、その他の原因についてはいまは触れないことにします。)

 

心因性の発作が起きた時のこともすべて鮮明に憶えていますが、とにかく今まで心の中に溜めていた鬱憤をすべて支社長に直接ぶつけました。

 

それでも支社長はその場で私を怒ったりはせず、拳を握りしめ、震えて涙ぐみながら「病気だから、病院へ行こう。」そう言って、営業さんを付き添わせて知り合いの病院まで連れて行ってくださいました。

 

いま考えるとすごく思い遣りのある方だったのだと思いますが、その時はその人や社風に対して反抗心を持ち自分を守ることで精神のバランスを保っていたのだとおもうし、その時はそれで精一杯だったのだと思います。

 

病気はすぐには寛解せず、休職して3ヶ月が経った時点で復帰出来ないようなら退職してほしいと言われ、そのまま退職。

 

その後2年間ほど、経過があまりよくないことからアルバイトも思うように出来なかったため、それまでの貯金で翻訳通訳の養成学校に入りました。

 

そこでも「出来ない、情けない自分」を再認識するようなことが多々ありましたが、英語が好きという気持ちだけは揺るがなかったので、少しずつ勉強を続けました。

 

それからさらに1年ぐらい?後、そろそろ働きたいなとやっと積極的に思えるようになってきました。しかし希望の仕事がうまく見つからないという状況の中、ハローワークのおじさんが職業訓練でグローバル人材育成というプログラムの中でもう少し英語を勉強してみたらどうか、と提案してくれました。

 

その後職業訓練校にてさらに英語を学び、TOEICで905点を取得。今でも大好きな雑貨の会社の営業職で内定をもらうも、勉強と就活を頑張り過ぎたストレスから病気が再発してダメになったりと、紆余曲折あり、就活は一旦中断。

 

その後また好きだった雑貨屋さんのアルバイトから1年リハビリをして、その雑貨屋さんがなくなってしまったのを機に、就職活動を再開しました。

 

それから派遣会社に登録。通訳訓練校時代から関心を持っていた外資系の某企業に派遣社員として入ることが出来ました。

 

この時期になってやっと、英語に対しての自分の気持ちと向き合うことをちゃんとし直しはじめたのだと思います。

 

派遣社員時代に続く。