ちゃいろのいぬ英語奮闘記。

英語の勉強記録。

家族とのこと。

英語のことだけ書くブログにしようと思ったのですが、どうしても最近思う所があり、今回は別の内容にします。自分の感情の整理のために時々今回のような内容の記事を書くかもしれません。

 

わたしは昔から親から「(精神的に)責められている」と感じることが多い人間です。子供のころからずっと、もうすぐ35になりますが今でもです。姉2人からもけっこう責められていると思うことが多くて、居場所がなくてつらくてどうすればいいのかわからないことがけっこう多いです。

 

こうやって書くとすべてが全然自分のせいじゃないみたいだけど、たぶん全部自分が悪いというか、原因を作ってるのはたぶん自分なんだろうなっていうのも頭ではわかっていて、でも100パーセントそれを認めることができているわけでもないです。それはたぶん、どうしてこんな気持ちになることが自分には多いのか、っていうことに対する納得のいく理由がまだ見つけられていないからだと思います。

 

これまで物質的には特に不自由な思いをさせられたことはなかったし、実際に家族から愛されてはいるんだろうし、こんな風に文句ばかり言うべきではなくて、むしろいろいろ感謝しないといけないんだろうけど、どうも昔から、そういう感覚や気持ちが薄いというか、特に大人になってから親や姉たちと合わないと思うことが多くなりました。

 

自分なりに考えた結果、たぶん家を出るのがいちばんいいのかな、と思ったので、いまはそれを当面の目標にしてます。

 

「子供なだけ」「考えが甘い」

たしかにそうかもしれないけど、子供の頃からずっと苦しいのには、それだけでは片付けられない何か納得のいく理由があるんじゃないかと思ってしまいます。

 

よくある、インナーチャイルドとか、アダルトチルドレンとか、そういった内容の心理学系のお話もよく本やネットで読んだりするけど、すごく意味がわかるし、自分もそうかもって思うけど、一方では、親とか家庭環境のせいとかじゃなくて、自分の中に原因を探したい気持ちもあります。

 

たぶん、この苦しさを克服出来なかったら、この先誰かと付き合って結婚して家族を作ることも難しいだろうなって思えるぐらい自分の性格の悪さを日々の生活の中で実感しています。もしかしたら探したって明確な答えはないのかもしれないけど、それに近い何かを探したい気持ちがあります。

 

きょうも自然と涙が出るのだけど、ちょっと疲れてるのかな、では済ませることができずに、深く考えてしまっています。

 

やっぱり心理学でもちゃんと勉強するかなぁ。

TOEIC IP結果(2018/3/21受験)

昨日家に帰ったらTOEICの結果が届いてました。IPなので公開テストよりは簡単かもしれないのだけど、L:430、R:315、Total:745と自分の受験した感覚から予想してた点数よりはだいぶマシでした。

 

それでも昔よりはかなり落ちたので、やはりもっと頑張らないととヤル気出ました。

 

職場のもう1人の派遣社員の子は日頃からよく努力していてプライベートでもネイティブと話す機会が多くぜったいもっと点数良いので恥ずかしいけど、点数見せ合いっこすることにしてる。

 

それも自分にとって良い刺激となってがんばろうって思えるはずなので、なんかたのしみ!

 

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TOEIC IP受けました。

この間、TOEIC IPをおなじ職場の子と一緒に受けに行きました。感覚的には、600点台後半取れていればいいかなぁというところ。また結果が出たらここで報告しよう。

 

自分の中では、今回のIP受験を「事前」結果として、これから一定期間まじめに勉強して「事後」の結果も測りたいっていう目論見があり。でも、今のところ勉強を1人で長く続けられる気がしません。

 

英語の勉強、自分で考えてするのいろいろひっくるめるとめっちゃ大変だし効率が悪いことに気づいたので、近々、以前お世話になっていた某通訳訓練学校にTOEICの講座だけ受けに行くつもりです。よくよく考えると先生って勉強の方法を教えてくれるだけじゃなくモチベーション保つのも手伝ってくれるし学校だとおなじ志を持つ人たちにも出会えるから、自分1人でやるのとはその点がかなり大きい違いだって思うとお金出して教わるのもいいかなと思えてきた。

 

そーいえば、通訳翻訳の学校で勉強したこともあったけど特に通訳の訓練法めっちゃ難しかったなぁってこととクラスで常に落ちこぼれだったなーってことしか覚えてない。汗

 

あと、英語の勉強めっちゃたくさんしてすごく出来るようになったよってブログとかで言ってる人はたくさんいるけど、勉強一時期めっちゃ頑張ったけど、そのあと全くしなかったら劇的に下がったよっていうわたしのような人の話はなかなか聞かないというか、明るみに出ない(笑)みたいなので、こんな人も居るということをお見せできればと。ダイエットして急激に痩せたけど、しばらくしてリバウンドしたよ、みたいな話ならよく聞くんだけど。

 

こんなんだけど、いつかはTOEICで満点とってみたいという気持ちは捨てきれず。IP受験のときにチラシで見てTOEIC  S &Wもちょっと興味が出てきた。1番苦手なのは話すことなんだけど、日本語もうまく喋れないからそりゃー難しいかってちょっと諦めの気持ちもあり。けれどもネイティブ並みでなくていいので言いたいことある程度はスラスラ言えるようにはならないと、業務上支障出るのでそちらも何かしら対策したいです。

新しい職場も楽しい件&スピーキングテスト

今回派遣されることになった職場も、とても良い人ばかりの楽しいところです。

 

仕事はまだまだ不慣れですが、いろいろと今後の目標やこの会社でやってみたいことが決まってきました。

当面は、仕事に慣れることをがんばって、慣れてきたら、いまの中途半端なエクセルの知識をもっと確かなものにし、業務に役立てていきたいです。もちろん英語力ももっともっと上げていきたい。

 

あと、今度の土曜日、スピーキングのテストを受けることになりました。

勉強結構してきた割に全然喋れないほうだと思うのですが、結果を上司さんが期待してるみたいなので伝えなければいけなさそうで少々プレッシャーです。。。

 

最近ではよく練習がてら独り言のように英語をつぶやくようになりました。笑

話すのは決して上手くはないのですが、いまの時点では、通じる英語を話せればいいかなと思っています。

 

テスト頑張ります。

わたしと英語【正社員時代&ブランク期】

留学期間中、自分が本当に情けない生活を送って最悪の精神状態のまま帰って来たことがつらいというか情けなさすぎて、自分のような人間が英語を仕事で使うことなど出来るわけない。と決めつけていました。全く前向きに考えられない程落ち込みつつ行なった就活では、留学中本当につらかったことを誰にも言えず、ただ、次のステップへどんな形でもいいから進まなきゃ。その一心で淡々と面接を20社ほど受け、奇跡的に受かったのが某建設会社の一般事務でした。

 

新卒で入社したその会社では、わたしはたいへん問題のあるOLでした。まず、その会社で普通とされていた男尊女卑的な男性の振る舞いに対して非常に強い嫌悪感を抱いており、上司や営業さんに対し少しでもおかしいと思ったら平気で楯突いたり反論したりが日常茶飯事でした。

 

嫌なら辞めればよかったものを、大学まで出してもらい留学もさせてくれた親への罪悪感から2年ほど我慢した末、自分の限界を超えてしまったようで、ある時ついに心が壊れてしまいました。(発症したのは当時の職場環境だけが原因ではありませんが、その他の原因についてはいまは触れないことにします。)

 

心因性の発作が起きた時のこともすべて鮮明に憶えていますが、とにかく今まで心の中に溜めていた鬱憤をすべて支社長に直接ぶつけました。

 

それでも支社長はその場で私を怒ったりはせず、拳を握りしめ、震えて涙ぐみながら「病気だから、病院へ行こう。」そう言って、営業さんを付き添わせて知り合いの病院まで連れて行ってくださいました。

 

いま考えるとすごく思い遣りのある方だったのだと思いますが、その時はその人や社風に対して反抗心を持ち自分を守ることで精神のバランスを保っていたのだとおもうし、その時はそれで精一杯だったのだと思います。

 

病気はすぐには寛解せず、休職して3ヶ月が経った時点で復帰出来ないようなら退職してほしいと言われ、そのまま退職。

 

その後2年間ほど、経過があまりよくないことからアルバイトも思うように出来なかったため、それまでの貯金で翻訳通訳の養成学校に入りました。

 

そこでも「出来ない、情けない自分」を再認識するようなことが多々ありましたが、英語が好きという気持ちだけは揺るがなかったので、少しずつ勉強を続けました。

 

それからさらに1年ぐらい?後、そろそろ働きたいなとやっと積極的に思えるようになってきました。しかし希望の仕事がうまく見つからないという状況の中、ハローワークのおじさんが職業訓練でグローバル人材育成というプログラムの中でもう少し英語を勉強してみたらどうか、と提案してくれました。

 

その後職業訓練校にてさらに英語を学び、TOEICで905点を取得。今でも大好きな雑貨の会社の営業職で内定をもらうも、勉強と就活を頑張り過ぎたストレスから病気が再発してダメになったりと、紆余曲折あり、就活は一旦中断。

 

その後また好きだった雑貨屋さんのアルバイトから1年リハビリをして、その雑貨屋さんがなくなってしまったのを機に、就職活動を再開しました。

 

それから派遣会社に登録。通訳訓練校時代から関心を持っていた外資系の某企業に派遣社員として入ることが出来ました。

 

この時期になってやっと、英語に対しての自分の気持ちと向き合うことをちゃんとし直しはじめたのだと思います。

 

派遣社員時代に続く。

レッスンは保留に…&新しい職場について

こんばんは。ちゃいろのいぬです。

 

求職中だったわたしの新しい職場が決まったため、急遽、友人とのレッスンは一時保留にする事になりました。職場に慣れたら、また再開したいです。

 

新しい職場ですが、英語教育関連の会社です。

今回も派遣社員として入りましたが、良い意味で、「頑張らなきゃ」と思えてくる、和気あいあいとして活発なフロアの雰囲気に触発されて前向きな気持ちになれるような環境。

 

前の職場は、そこで働く人たちが本当に好きだったし尊敬してましたが、周りの人たちの文化というか世界?が自分と違い過ぎて、常に気後れし、萎縮してました。今回の職場も、そういう部分もあることはありますが、やってること自体が英語教育という昔から興味のある分野の仕事なので、共通項があるぶん、周りのみんなが少しだけ自分に近い存在?という感じを勝手に受けています。

 

前の職場の時は、もうすぐ契約終了になるのかも、ということがなんとなくわかった時期ぐらいから、憧れていた先輩たちのように早くなりたくてジタバタしてた。けどそこの環境のいろんな要素から、強い劣等感や相手の反応に傷つくことが怖くて素を出すことがどうしても難しく、バリアを張ってしまい、目標とする人たちに近付くことがとても難しかった。

 

ももしかしたら、いまのところでなら精一杯がんばれば、あの時の先輩たちみたいにみんなの役に立てるよう動ける人になれるのかもしれない。今日、少しだけそんな気がしてきました。

 

来週、わたしの歓迎会をしてくださるとのことで、本当にうれしい。たのしみだなぁ。

わたしと英語【大学時代と留学期】

大学に入っても、英語を専攻しました。

良い友達にも恵まれ、楽しく過ごせたと思います。

授業はまじめに受け、サークルには入らず、授業後はアルバイトばかりしていました。

 

3年次に、カナダに留学を決めました。

奨学金を受けられる制度があったため、事前に面接がありました。

わたしは特に成績が良かったわけではなく、留学したい理由も将来まで見据えたような明確なものではなかったのですが、とにかく、海外に出たい。自分の英語がどこまで通じるのか試してみたい。海外で自分だけで生活してみたい。という気持ちを伝えて、8ヶ月間行かせてもらえることになりました。

 

入ったのは、西部のブリティッシュコロンビア州にあるビクトリア大学附属のESL

最初の3ヶ月は、ホストファミリーに食事までお世話になり、ESLで授業を受ける毎日でした。クラスはアジア系の生徒が多く、接しやすかったのでコミュニケーションに困ることもあまりありませんでした。

 

夏休みの2ヶ月のうち1ヶ月ぐらいは、同じクラスだった韓国人の女の子とカナダ横断旅行をしました。

まずビクトリアからモントリオールまで飛行機で行き、そこからグレイハウンドバスを使って1ヶ月かけてビクトリアまで戻るということをしました。

旅行の生活に慣れてきたころ、ケベックで自称ヌーディストの男性から家に誘われてついていき、全裸をみせられたという(笑)怖い体験もしましたが、無事帰ってこられました。

旅の間、1度だけ喧嘩をしたこともあった(わたしは強く言われて泣いたほうですが笑)けど、そのおかげで友情が深まり、すごく充実した1ヶ月でした。

 

後期の3ヶ月は、クラスのレベルが上がりました。

ホストファミリーには自炊したいと希望を出し、ホームステイの料金を安くしてもらい、食事は自分で用意する生活に切り替えました。

新しいクラスには、メキシコ、トルコ、スイスなど、出会ったことのない国の生徒もたくさんいて、中には主張の強い人もいました。

わたしはその時期、そのような多国籍のクラスの雰囲気にうまく馴染めず、また言いたいことを英語で表現すること自体が苦痛になってきていました。それは、自分の細かい心情を表現することが困難だったためにストレスが溜まっていったことが原因だったと思います。

 

精神的にかなりつらい時期でしたが、優しい日本人の友達に日帰り旅にシアトルまで連れ出してもらったり、台湾人のおじさんに飲みに連れてってもらったりして、そういうことが大きな心の支えとなって、なんとかやっていけていました。

しかし最後のほうでは、ほとんど毎日飲みに行ったり友達の家でも飲んでいたために、アルコール依存に近い状態になっていて、最後のテストに寝坊して遅刻するなど、恥ずかしい失敗もありました。。。プログラムを修了はできたので、その状態のままなんとか留学期間を終え、帰国。

 

自己嫌悪や罪悪感でいっぱいのかなり落ち込んだ状況で帰国したため、あんなに好きだった英語に対して前向きに考えることができなくなっていました。就活を始める時期に入っても、とりあえずは活動していましたが、せっかく学んできた英語を使った仕事が出来る会社を受けるなどまったく考えられないほど落ち込んでいました。

 

結局、日本語でコミュニケーションが出来なければ英語でも難しいだろう、というあたりまえの答えに行きつき、建設業の一般事務で内定をもらい、入社しました。

 

社会人時代に続きます。